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【第9回】昔と今の野馬追はどう違う?

相馬野馬追(そうまののまおい)で使用されていた「野馬追原(のまおいはら)」は、かつて広大な放牧地として野馬たちが暮らしていた場所です。しかし、約150年前に国内で明治維新という革命が起こり、侍の時代が終わりを迎えたことで、大きな転機が訪れました。

明治時代に新しい政府(明治政府)が発足すると、「野馬追原にいる馬をただ行事のためだけに使うのはもったいない」と考えられるようになりました。当時、馬は移動や農作業、戦争の際の重要な労働力として非常に貴重な存在だったため、政府は野馬追原の馬をすべて捕らえ、関東地方を中心に労働力として移動させてしまったのです。この結果、野馬追原から馬がいなくなってしまいました。


馬がいなくなった後の野馬追

侍の時代が終わり、野馬追原の馬もいなくなりました。しかし、野馬追という行事そのものは途絶えることなく、新しい形で続けられることになります。


神社による野馬追

もともと相馬家の殿様が中心となって行われていた野馬追ですが、侍の時代が終わると「殿様」という身分も消滅しました。そこで、野馬追は相馬家の行事から、地域の神社による行事へと変わりました。

この変更により、行列の中に「神輿(みこし)」が登場するようになりました。神輿は神社の象徴であり、野馬追が神事としての色合いを強めることとなったのです。現在も、総大将は相馬家の末裔が務めることで、野馬追の伝統が守られています。


神旗争奪戦の誕生

野馬追の中心であった野馬を追う行事ができなくなったため、代わりに考案されたのが「神旗争奪戦」です。これは、神聖な旗を巡って騎馬武者たちが競い合う勇壮な競技であり、現在の野馬追の代表的な行事となっています。


野馬追を続ける努力:時代に合わせた変化

野馬追は、長い歴史の中で自然災害や戦争など、開催が難しい時期を何度も経験してきました。しかし、その都度、時代に合わせた形で工夫しながら続けられてきました。

時代に合わせた変化

  • 野馬追原の野馬がいなくなった時代
     → 神旗争奪戦が誕生。
  • 猛暑が問題となった近年
     → 人馬の健康を守るため、開催時期を7月から5月に変更。

このように、野馬追は変化を受け入れることで、その伝統を守り続けてきたのです。


変わらない願い:みんなの幸せを祈る祭り

姿かたちは変わっても、野馬追の本質は変わりません。それは、地域の繁栄と住む人々の幸せを願う祭りであることです。
だからこそ、野馬追はこれからも続いていきます。観客の皆さんも、ぜひ「いってらっしゃい」「頑張って」「おかえりなさい」と声をかけながら、この大切な行事を見守ってください。

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