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【第6回】昔(江戸時代)の野馬追ってどんな野馬追?

相馬野馬追(そうまののまおい)は、現在のような壮大な祭りではなく、文字通り「野馬」を「追う」行事として始まりました。その中心には、相馬妙見三社(相馬太田神社・相馬小高神社・相馬中村神社)の信仰と、馬を神聖視する文化がありました。今回は、江戸時代の野馬追がどのような行事であったかをひも解いてみましょう。


会場:野馬追原(のまおいはら)

江戸時代の野馬追の会場は、今も昔も南相馬市原町にありました。「原町」という地名が示すように、広大な原っぱが広がる土地でした。この土地は「野馬追原」と呼ばれる大きな放牧場で、野生の馬たちが暮らしていました。

野馬追原に放牧されていた馬たちは、ただの野生動物ではありません。妙見神に捧げる神聖な存在として、人々に大切にされていました。普段はのんびりと過ごしていたであろうこれらの馬たちは、神事の一環として捕獲され、妙見神に奉納されるという重要な役割を果たしていたのです。

現在の祭りの中心地である「雲雀ヶ原祭場地」は、この野馬追原の一部に位置しています。かつての広大な原野の歴史を感じることができます。


野馬懸(のまかけ)とは?

野馬追のクライマックスである「野馬懸」は、江戸時代から続く伝統的な儀式です。騎馬武者たちによって追い込まれた野馬は、小高妙見社(現在の小高神社)へと連れて行かれます。そして、小人(おこびと)と呼ばれる白装束の人々によって捕らえられ、神馬(しんめ)として神に捧げられるのです。この行事は、現在もほぼ同じ形式で行われています。


神馬としての野馬:その後の運命

「神に捧げる」と聞くと、馬が命を失うのではないかと心配する方もいるかもしれません。しかし、野馬懸で捕らえられた馬は殺されることはありません。代わりに「上げ野馬(あげのま)」と呼ばれる神聖な儀式が行われます。


上げ野馬の神事

上げ野馬の神事は、馬を妙見神と一体化させる儀式です。この儀式では以下のような手順が取られます:

  1. 米と塩を与える
     米は豊かさの象徴であり、塩は身を清める意味があります。これを馬に与えることで、神聖な存在としての役割を強調します。
  2. 紙垂(しで)を結ぶ
     白いギザギザの紙である紙垂を馬のたてがみに結び付けます。この紙垂は、神社のしめ縄や神棚でも見られるもので、神聖さを示すものです。これを結ぶことで、馬が神様と一体化し、神馬となるとされます。

この儀式を経て、馬は神聖な存在として祭りの終わりを迎えます。上げ野馬は、現在の相馬野馬追の伝統行事の中でも特に深い意味を持つ重要な部分です。

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