
相馬野馬追は福島県相馬地方で行われる伝統的な祭りであり、武士の軍事訓練を起源とする壮大な騎馬行事として広く知られています。しかし、同様の「野馬追(のまおい)」の風習は、歴史的に相馬以外の地域でも存在していました。
1. 関東地方の野馬追
かつて関東地方には多くの牧(まき)と呼ばれる馬の放牧地があり、武士たちが野馬を捕える「野馬懸(のまかけ)」を行っていました。特に、千葉県や茨城県では中世から江戸時代にかけて野馬追の習慣が残っていたとされています。
- 千葉県(下総国)
- 平将門が支配した関八州では、戦闘訓練の一環として野馬追が行われていたという記録があります。
- 江戸時代には「佐倉藩」などでも野馬を管理するための野馬追が行われていました。
- 茨城県(常陸国)
- 武士の軍事訓練として野馬追に近い行事が存在し、特に戦国時代には騎馬戦術を磨くために活用されていました。
2. 九州地方の野馬追
関東地方だけでなく、九州地方の一部にも野馬追に類似した文化が伝わっています。
- 熊本県(阿蘇地方)
- 古くから馬の生産が盛んであり、阿蘇の牧場では野馬を捕え訓練する文化があったとされています。
- 宮崎県(高千穂地方)
- 野生馬を神に奉納する神事が行われる地域があり、野馬追の精神と共通点が見られます。
3. 野馬追が相馬で特に残った理由
現在、広く「野馬追」として知られているのは相馬地方の「相馬野馬追」です。その理由として、
- 相馬氏が長く統治し、野馬追を家中行事として継続したこと
- 相馬三社(相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社)を中心に祭礼として定着したこと
- 明治以降も地域の人々が伝統を守り続けたこと
が挙げられます。
まとめ
歴史的には、関東地方や九州地方など、日本各地で野馬追に似た行事や習慣が見られました。しかし、相馬地方では武士の伝統と信仰が深く結びつき、地域の誇りとして今なお続いています。そのため、「野馬追」と言えば現在では「相馬野馬追」を指すことが一般的になっています。
この伝統が今後も受け継がれ、多くの人々に知られることを願っています!