小ネタ 【第10回】相馬野馬追小ネタ編『旗』 相馬野馬追(そうまののまおい)の行列や神旗争奪戦では、騎馬武者たちが背負う旗が大きな見どころの一つです。この旗にはどれほど多くの種類があり、どのような意味が込められているのでしょうか? 2500種類ものデザインがある旗 野馬追に登場する旗のデザインは、なんと約2500種類もあります。それぞれの旗には、家ごとの紋章や特徴... 2024年12月15日 admin
相馬野馬追 【第9回】昔と今の野馬追はどう違う? 相馬野馬追(そうまののまおい)で使用されていた「野馬追原(のまおいはら)」は、かつて広大な放牧地として野馬たちが暮らしていた場所です。しかし、約150年前に国内で明治維新という革命が起こり、侍の時代が終わりを迎えたことで、大きな転機が訪れました。 明治時代に新しい政府(明治政府)が発足すると、「野馬追原にいる馬をただ行... 2024年12月15日 admin
相馬野馬追 【第8回】野馬追のルーツ「野馬懸」② 馬を神様に捧げる理由:昔と今のつながり 相馬野馬追(そうまののまおい)では、毎年「野馬懸(のまかけ)」で馬を捕らえ、「上げ野馬の神事」を行います。この行事には、「馬を神様に捧げる」という深い意味があります。しかし、なぜ現代においても、このような伝統が続いているのでしょうか? 絵馬の起源:馬を捧げる文化 現代では、神社に... 2024年12月15日 admin
相馬野馬追 【第7回】野馬追のルーツ「野馬懸」① 相馬野馬追(そうまののまおい)の見どころの一つである「野馬懸(のまかけ)」では、白い服を着た人々が素手で馬を捕らえる姿を見ることができます。この白い服を着た人々は「御小人(おこびと)」と呼ばれています。彼らは、相馬藩の時代から続く特別な役割を担う人々であり、その存在は野馬追の伝統と深く結びついています。 御小人の歴史:... 2024年12月15日 admin
相馬野馬追 【第6回】昔(江戸時代)の野馬追ってどんな野馬追? 相馬野馬追(そうまののまおい)は、現在のような壮大な祭りではなく、文字通り「野馬」を「追う」行事として始まりました。その中心には、相馬妙見三社(相馬太田神社・相馬小高神社・相馬中村神社)の信仰と、馬を神聖視する文化がありました。今回は、江戸時代の野馬追がどのような行事であったかをひも解いてみましょう。 会場:野馬追原(... 2024年12月15日 admin
相馬野馬追 【第5回】「神旗争奪戦」「甲冑競馬」はいつから始まったの? 相馬野馬追(そうまののまおい)は1000年以上の歴史を誇る伝統行事ですが、その内容は時代とともに少しずつ進化を遂げてきました。かつて行われていたすべての行事が今でも同じ形で続けられているわけではありません。むしろ、時代に合わせて新しい要素が取り入れられることで、現在の相馬野馬追の姿が形作られているのです。 野馬追の進化... 2024年12月15日 admin
相馬野馬追 【第4回】神旗争奪戦とは何ですか? 相馬野馬追(そうまののまおい)の中心には、相馬妙見三社(相馬太田神社・相馬小高神社・相馬中村神社)の名前が記された「神旗(しんき)」があります。この神旗は横35センチ、長さ150センチほどの布で、太田神社は赤、小高神社は黄、中村神社は青と色分けされています。 昔、中村神社の神旗は白色でした。しかし、野馬追が梅雨時(7月... 2024年12月15日 admin
相馬野馬追 ピックアップ 【第3回】野馬追に出ている武者のなかで、一番偉い人は誰ですか? 相馬野馬追には、約400騎にもなる騎馬武者が出陣します。その武者たちを束ねるのが「総大将」です。総大将は、むかし相馬地方を治めていた殿様の家系である「相馬家」の当主が務めるのがならわしです。ただし、相馬家の当主が参加できない年には、相馬家の御家老家(家臣の中でも特に位の高い家系)や相馬市長が代わりに務めます。 総大将は... 2024年10月18日 admin
相馬野馬追 ピックアップ 【第2回】野馬追にはどれくらいの人が出ているの? 相馬野馬追は、毎年多くの人々の協力のもとに行われる、日本の伝統行事です。参加する騎馬武者の数は、年によって異なりますが、通常は約350~400人が出陣します。しかし、東日本大震災が起こった年や、新型コロナウイルス感染症の影響を受けた年には、様々な制約があり、参加できる騎馬武者の数が大幅に減少しました。そのため、100人... 2024年10月18日 admin